Intersect is Nothing. (Ver.2)

モデルさんも、ハコやロケーションも、ポートレートにゃ重要です。

 

だから、その両方を備えたところを選択したいし、納得できる水準内でさがせなきゃどうにかして上京するだけだ…と思っている。

 

そういう発想の再転換を行ってもう数年は経ってるが、未だ中の人の住むこの関西ではこの状況があまり前進はしてなく、結局常に行くところはひとつだけになってしまった。そして、

 

モデルさんを呼ぶスジは良くてもそれ以外は単調で進歩が見られないところ

…とか、

ハコはそこそこ気は使ってるものの主催者の雰囲気自体が良くなさそうなところ

…とか、

あるいは逆に店員がカラ元気なだけのラーメン屋みたいでスタッフの罵倒まで聞こえてしまうようなところ

…とか、

 

何でこうなってしまう?!と思ってしまうのが悲しい。

 

これでも、「旧」アーツとか、撮天とか、ライトネスとか、クランベリーとか…少し前までは関西にもいいハコはあったし、実際その当時はほぼ完全に関西ベースで動いてたし、充分楽しめてた。

今はこんな状態で、且つ例えば実費+αで交通費込みでFPSやらプレ撮に行けなくはないことが解ってしまったので、上京することを軸にするようになってしまった。

 

みんななくなって、感じるのは行きどころのない閉塞感。でも、当然の事ながら関西ベースで活動できたほうが負担は軽いのは事実…そんなジレンマ。

 

そんな状況に楔を打つような、掛け値無しに「これだ!!」と言える様なハコ、出てこないかなぁ…?!
良いモデルさん呼んで、常に雰囲気とシチュエーションに気を使ったハコづくりを目指す、そんなハコと運営を。
それがあちこちで勃興すれば、いい意味で競争を生み、底上げに繋がると思うから。

 

カメラもEntertainmentだ…?!改

製品ライフサイクルの間で、最後まで機能追加を伴うファーム更新を何度となく繰り返す製品があるとするなら、それは、製品を使うこともある種エンターテイメントなのかもしれないが、製品自体もエンターテイメントと言えなくはないかもしれない。

 
そう感じたOLYMPUS E-M1時代。

 
結局、商品ライフの末期に近づいた頃まで、大きくは3回も機能追加付きのアップデートを行ってユーザーのモチベーションを引っ張り続けたのは(元々構想にあったものを逐次追加しただけなのかしれないが)賞賛を贈ろうではないか。

 
しかし、あの考え好きだなぁ…。他のメーカーも見習っていただきたい。

 
やっぱりひとつの製品は、特殊事情がなければ数年は使う。その中で飽きさせない工夫。

使いきってじゃぁ次にするか…と言わせられるようなシナリオを描いてほしい。そのほうが求心力も高まると云うもので。
そういう見地では、新機種の機能の中で、ソフトウェアだけで実装できそうなアップデートは積極的に(下克上があったとしても)行うべき。

 

…っつーわけで、Nikonさんに於かれましては、WR-10の対応機種でのSB-5000の無線シンクロ対応ファームは是非出していただきたい…と思います(結局それか)。

 

 

これは今年はやるであろうDigital Live地方巡業の時に言うたんねん。

破壊と創生と逆戻り

結局、傍から見りゃ相当に無駄な動きにしか見えないんだろうが、昨年一旦は全面移行したはずのMFT化を反故にして、最終的にはNikonに戻る…という選択をした。

 

理由は、書けそうなやつからそうじゃない(墓場まで持ってきたいようなやつ)まで幾つかあるのだが、今の機材構成は、

 

主機:Nikon D750を軸にした構成

補機:Panasonic DMC-GM5を軸にした構成

 

…と言う風な感じ。

 

歩留まりの側面で言えば、未だにE-M1ベースの構成は最凶にに近いものがあったし、故に一時期はほぼ完全にメインになっていた。
が、一方で理由不明な「なんか違う」感もあったのは事実だ。やっぱり色々な意味で「実感」に乏しいってのは常に付き纏ってた話で、やっぱり良い悪いじゃなくて自分にゃ合わんのか?!…となった。

 

一方で、その過程でそれまでのFマウント系の機材はあらかた手放していたが、何故か数本のレンズは手元に残っていたので、これが「まだ戻れる」と思わせたのかもしれない。
結局、ある日D750を触って「当面これでどうにかできるだろう」…ということで、再構築を開始して今に至る。

 
何故750なのかといえば、戻るにしてもMFTの粗方を放って捻出できる予算は限られてたのが結局大きい。

もうひとつは2度も同じ機材を買い(直し)たくないし、ならある納得できる最低限で構成して次期を待つ…という判断でもある。
製品サイクル考えたらD810後継も70-200/2.8後継もそう遠くないと思えたのでなおのこと。

背景と経緯はこのぐらいで考えてもらったほうが良いだろう。

 
当初、歩留まりとハンドリングを拠り所に「破壊と創生」と称してE-M1を軸に進めたMFTへの完全移行は、凡そ半年ほどで崩壊。
そして、今の時点で行き着いた先は、結局Nikonなので、傍から見りゃ質の悪い逆戻りにしか見えないかもしれない。

 

ダウンサイジングとリバウンドの果てに、結果的には昔よりはちょっとだけ身軽にはなっているが、結局自分のキャパシティを超える変化には、あまりいいことはないなぁ…というのが、この1年間の流転で辿り着いた結論か。
結局のところ、触って落ち着くものを使うのがベスト…ということになるのであろう。

 
実のところ「破壊と創生」をキーワードに決行したダウンサイジングは、写真だけじゃなくオーディオにも波及してて(フルサイズの単品機からONKYO CR-N765に移行)、そっちはそれで落ち着いている。

 
が、写真は同じようにはできなかったらしいです。

黎明

昔からの口癖。

「関西にFresh!を」

 

この言葉は、単にフォトセッションや定常的な大撮形式の撮影会を関西にも導入して欲しいという話ではない。
東京のそれと同様に、地場の(グラビアやライブを問わず)アイドルシーンに根ざした、そこから枝葉が伸びるようなものであるべき…というものだ。
つまり、ヲタ活とフォトグラフィのハブ的存在を望んでいたのである。

 

関西にできた同じような撮影会は、本質的なところまでちゃんとインスパイアしてくれるだろうか?!

 

初期は正直落胆でしか無かったが、今はあるアイドルユニットの関西での展開とリンクしててもう幾ばくかはしマシにはなったかな…と思わなくはない。が、それでもまだあのレベルには至らんなぁ…という印象。それが特別ではなく定常になるような状態でやっと比較できる状態かな…と思う。

 

一度は、東京の同種の撮影会を体験してしまってる以上、どうしても同じ体裁のものは比較の俎上にあがってきてしまう。

そして、それを知ってる人は、同じ体裁のものが近場で始まる…と言えば、心の何処かでは「あの感じ」を近場でも再現して欲しいと思うものだろう…と。

 

故に、ここの中の人が、

 

「これで遠征減らせる!!」

 

と思わすに至るような、そんな内容の充実を祈念するばかりである。

 

例えば、対FPSにしたって全然そのレベルには至ってないし、運営が実際にモチーフとしていると思しきFoto-joに対しても(某放送作家がやってるイベント系からキャスティングを全部持って来るようなイメージで)U18セッションみたいなもんがやれてないとか、足りない足りないと言えばきりがないほど足りない訳で。

 

 

こっちは、例えそれが荒唐無稽だ無茶言うなと言われても、そしてそんなこと解ってたとしても、気力が折れるまで旗は降ろさないつもりである。

そして、この辺がどうにかなるまで、まだまだ4列バスとの格闘は続く…。

文化の座屈

今の時点では備忘録的なものだけ。

EOS 5Ds/DsRも、Otusも、実は写真「文化」という切り口で考えた時に、必ずしもいい方向に向かってる要素だけじゃないんじゃないか?!。性能の向上による負の側面のお話。上だけを見て地に足をつかなくなった製品群と単なる安物の両極化は、望みを絶たれ諦める人を続発させ、それは文化を根っこから腐らす危険性を持っている。

今一度手の届くところをきっちりやらないと…と言わないと、実は取り返しの付かないことになったりしてな…と思うわけです。貧乏人は粟でも食ってろ…じゃだめなんだ。

本当にユーザーが望んでいるのは、時代が変われど「手の届く範囲での最善」なんじゃないか?!と。そしてその「手の届く範囲」というのは、大概は可処分所得の最頻値に連動しているし、それはこの10年やらの間にどう変動したっけ?!と考えるとどんどん脆弱な方向に行ってるんじゃないかという危惧。ある種絶滅寸前の恐竜状態ですらあるような気もする。

最高の写真は最高の描写から生み出されることはままあっても、その逆なまた真なりとはいえないのが写真。それこそ「写ルンです」から映しだされたそれで呆然としたことあったんじゃないのか?!と。

まぁ、買える人にゃどうぞとしか言えないんだけど、買えない人までそれを指くわえて見る必要はない。むしろ別の方法を考えて柔よく剛を制するんだと日々鍛錬するほうがよっぽど健康的ですらある。

だからシグマのアートラインは(全部じゃないだろうけど)常に品薄が続くという状態には、写真「機」業界に対する、そういうサイレントマジョリティのメッセージがあるのかもしれないですな。

…とそんな感じのことを書こうとしています。

どんどん入れたい要素が膨らんで、既にカオスではあるが(を。