破壊と創生と逆戻り

結局、傍から見りゃ相当に無駄な動きにしか見えないんだろうが、昨年一旦は全面移行したはずのMFT化を反故にして、最終的にはNikonに戻る…という選択をした。

 

理由は、書けそうなやつからそうじゃない(墓場まで持ってきたいようなやつ)まで幾つかあるのだが、今の機材構成は、

 

主機:Nikon D750を軸にした構成

補機:Panasonic DMC-GM5を軸にした構成

 

…と言う風な感じ。

 

歩留まりの側面で言えば、未だにE-M1ベースの構成は最凶にに近いものがあったし、故に一時期はほぼ完全にメインになっていた。
が、一方で理由不明な「なんか違う」感もあったのは事実だ。やっぱり色々な意味で「実感」に乏しいってのは常に付き纏ってた話で、やっぱり良い悪いじゃなくて自分にゃ合わんのか?!…となった。

 

一方で、その過程でそれまでのFマウント系の機材はあらかた手放していたが、何故か数本のレンズは手元に残っていたので、これが「まだ戻れる」と思わせたのかもしれない。
結局、ある日D750を触って「当面これでどうにかできるだろう」…ということで、再構築を開始して今に至る。

 
何故750なのかといえば、戻るにしてもMFTの粗方を放って捻出できる予算は限られてたのが結局大きい。

もうひとつは2度も同じ機材を買い(直し)たくないし、ならある納得できる最低限で構成して次期を待つ…という判断でもある。
製品サイクル考えたらD810後継も70-200/2.8後継もそう遠くないと思えたのでなおのこと。

背景と経緯はこのぐらいで考えてもらったほうが良いだろう。

 
当初、歩留まりとハンドリングを拠り所に「破壊と創生」と称してE-M1を軸に進めたMFTへの完全移行は、凡そ半年ほどで崩壊。
そして、今の時点で行き着いた先は、結局Nikonなので、傍から見りゃ質の悪い逆戻りにしか見えないかもしれない。

 

ダウンサイジングとリバウンドの果てに、結果的には昔よりはちょっとだけ身軽にはなっているが、結局自分のキャパシティを超える変化には、あまりいいことはないなぁ…というのが、この1年間の流転で辿り着いた結論か。
結局のところ、触って落ち着くものを使うのがベスト…ということになるのであろう。

 
実のところ「破壊と創生」をキーワードに決行したダウンサイジングは、写真だけじゃなくオーディオにも波及してて(フルサイズの単品機からONKYO CR-N765に移行)、そっちはそれで落ち着いている。

 
が、写真は同じようにはできなかったらしいです。

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