「おまえら」開設。

ここに書いていた前口上的な部分は「前口上」に移動しました。

色々思い巡らせた挙句、当面「牛小屋」の写真関連ページ的な運用をしていく予定です。

牛舎画廊の続きは、ここの「Portraits」や「Landscapes」等のカテゴリー下に展開されていきますので宜しくお願いします。

文化の座屈

今の時点では備忘録的なものだけ。

EOS 5Ds/DsRも、Otusも、実は写真「文化」という切り口で考えた時に、必ずしもいい方向に向かってる要素だけじゃないんじゃないか?!。性能の向上による負の側面のお話。上だけを見て地に足をつかなくなった製品群と単なる安物の両極化は、望みを絶たれ諦める人を続発させ、それは文化を根っこから腐らす危険性を持っている。

今一度手の届くところをきっちりやらないと…と言わないと、実は取り返しの付かないことになったりしてな…と思うわけです。貧乏人は粟でも食ってろ…じゃだめなんだ。

本当にユーザーが望んでいるのは、時代が変われど「手の届く範囲での最善」なんじゃないか?!と。そしてその「手の届く範囲」というのは、大概は可処分所得の最頻値に連動しているし、それはこの10年やらの間にどう変動したっけ?!と考えるとどんどん脆弱な方向に行ってるんじゃないかという危惧。ある種絶滅寸前の恐竜状態ですらあるような気もする。

最高の写真は最高の描写から生み出されることはままあっても、その逆なまた真なりとはいえないのが写真。それこそ「写ルンです」から映しだされたそれで呆然としたことあったんじゃないのか?!と。

まぁ、買える人にゃどうぞとしか言えないんだけど、買えない人までそれを指くわえて見る必要はない。むしろ別の方法を考えて柔よく剛を制するんだと日々鍛錬するほうがよっぽど健康的ですらある。

だからシグマのアートラインは(全部じゃないだろうけど)常に品薄が続くという状態には、写真「機」業界に対する、そういうサイレントマジョリティのメッセージがあるのかもしれないですな。

…とそんな感じのことを書こうとしています。

どんどん入れたい要素が膨らんで、既にカオスではあるが(を。

「きっかけ」の重要性

全ては、「きっかけ」から始まる。

 

何にせよそうだ。そこに至るにはその発端になる何かが存在する。

 

発端があって、その機会があって、それがきっかけとなる。

 

発端の部分は色々なものがあるのでここでは書く気はないが、その次に来る「機会」の部分は重要だ。つまり、そこにいきゃ何かしら「発見」があるかもしれないと思うに値する場所の存在である。

 

思えば、今の中の人のヲタ活の対象も、全ての発端はFPSであった。

誰かの目的でFPSに行き、そこで別の誰かを見つけ出し枝葉を伸ばす…基本的にはこの流れである。

 

 

中の人が、上っ面だけではない、本質的な部分まで含めてFPSやFoto-jo的なものが関西にも欲しいと言っているのはまさしくそこ。

敷居が低くて、
いつでも行けて、
新しい発見が期待できる。
そしてあくまで「ハブ」の立ち位置であること。

 

ユーザー視点で言えば、敷居が低くていろいろな発見が期待できる場は、あったほうがいいに決まっている。

今まで望めなかったところにそういう場所がもし生まれれば、ある種のパラダイムシフトが起きるだろうと思っている。

…そんな「場」の存在は全てを変え、広がりをもたらすと確信するが故。

 

それこそが「きっかけ」を産む原動力となっていく。

当然、行くに足る素材が、そこにあることが大前提。
体裁も、行く気になれる様な中身も、「きっかけ」にはどっちも肝要。

 

個人的には、今関西でそれに近い形態の撮影会を行ってるところに、是非コピーをやるなら完璧に、本質的なものまで含めて徹底的にやっていただきたい…と祈念するばかりである。