撮る喜びに於いて、「選べる」ということはその全てに対して最も重要なことのひとつ…と、たっくんは考えています。
被写体を選ぶ。
シチュエーションを選ぶ。
機材を選ぶ。
勿論、それが懐具合に合うものであることも重要です。
そういった諸々の要件を、自分で選んでこそ、撮る喜びが生まれるのではないでしょうか?!
その要素を阻害すること、例えば、撮影機会に関しては、主宰者間の活動干渉(平たく言えば足の引っ張り合い…いや、片方が一方的に引っ張るケースもあり得るかも)…とか、被写体選びはさておき、いつも同じ中身で一向に進歩しない主宰者…とか、あるいは、機材においては、官能性をまったく無視した革新という名の退化とか、そういったものはすべからく撮る喜びをスポイルするものである。と、たっくんは考えています。
確かにそういった行動は、短期的には真新しさや、あるいは囲い込み、あるいはコストダウンの効果で利益にはなるでしょう。しかし、それらを文化として捉えた場合、それは疲弊や退屈を生み、ひいてはその根幹を腐らせて文化そのものが崩壊する。そうなれば、各々が拠り所にしていたものすらその意味を成さない。みんな総ゴケ…ということになる訳です。
写真機にしても、撮影機会にしても、その存在意義は「如何にそれが楽しいか」であり、各々のメーカーなり主宰者といった方々はそこで勝負していくべきだと考えるのです。
たっくんは、基本的には常に面白いコトを考えてるところを応援していきたい。内に篭るより外への広がりを思考するところを応援したい。そして、「撮る」という手触りを大切にしているところを応援したい。そのように考えています。
「Be a shooter.」は、そのような考え方の集合体。ネタはMAZDAのモロパクリですが、メカを操って楽しい…というものは、クルマもカメラも一緒じゃないかな?!と思っています。